カワウソの独り言

偏愛する映画と本について書いています。

袴田くるみ監督作品が観たい!

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私が袴田くるみという監督を知ったのは、第5回日本セルビア映画祭(2019)だった。上映された16作品のうちの1本が袴田監督の『陳腐な男』だったのだ。初見はもう、不意打ちを食らった、というのに等しく、揺さぶられた感情に着地点を見出したくて、すぐにでも再見したくなったのを覚えている。きのう、なぜか当時つぶやいた感想めいたものがTwitterのお知らせに上がってきていた。その時に添付したポスタービジュアル(上記)を目にしたら、今この瞬間に観たくなった。きっと前日に『ガンパウダー・ミルクシェイク』を観たからかもしれない(テーマは共通するものがある)。今どきは配信があるのでは、と検索してみたら、あった。U-NEXTで観られる。監督はYouTubeのチャンネルを持っておられ、実はそこでも普通に観ることができる。動画の一覧には私の知らない作品もあった。

 

袴田監督の作品に頻繁にあらわれるのは、何不自由のない生活を送る人間、その生活を支えるために使役され、消費されるロボット/クローンという構図だ。この人工物たちは完璧に人間の姿をしているが、人に準ずる存在にとどめられ、決して人として扱われることはない。意志も感情もない「モノ」と見做され、抗うすべもなく(アシモフロボット三原則が生きているのだろう)、肉体的、精神的に残酷な仕打ちを受ける。能力がありながら特権的立場にいる者から搾取され、不当な立場に追いやられるその姿は、今の世のなかを凝縮しているようだ。一連の作品では、そうしたディストピア的世界に抗う、主に声を奪われた女性たちの姿が描かれる。

■『A Banal Man / 陳腐な男』

もう一つのモチーフに「子ども」の存在がある。『A Banal Man / 陳腐な男』の主人公は、不妊で子どもが産めないことに罪悪感を覚えている。裏を返せば、そこには女性に出産の圧をかけ続ける社会が存在しているということだ。彼女は子どもの代わりにロボットを設計した。優しく有能で純粋な「光る目」の子どもたち。青い目をしたロボットたちは貴重な労働力として社会に温かく迎え入れられ、彼女は「母親」の役割を果たせたことに安堵する。しかし人間は、ロボットたちの能力の高さに嫉妬し、脅威を覚え、ロボットたちを「害悪」として葬り去っていく。子どもを殺された彼女は復讐を決意し、ロボット根絶計画の中枢にいるとおぼしき男のもとへ銃を携えて向かう。

続きは観てほしいのだけれども、結局、彼女が「諸悪の根源」だと憎んだ男は、自分で考えることを放棄し、判断を下す責任から逃れ、言うがままに動くロボットに等しい存在だった。危険を伴う自由を手放し、従属という安寧を得たのだ。彼女の作ったロボットこそ、本来は意志も感情もないはずなのに、喜怒哀楽の表情を掛け値無しにみせ、まるで本物の人間のようだ。ロボット(道具)化した人間が、みずからの手で人間性を葬り去っていく皮肉な世界。では、道具として使っているのは誰か。その正体は誰にも分からない。

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映画祭の舞台挨拶で、袴田監督は次回作について、「性暴力の被害者である女性がなぜ責められるのか」がテーマだと述べられていた。たぶん、この作品がそうなのではないかと思う。

■『Jodie』

『Jodie』の主人公は二人。一人は、かつて産婦人科医だったが、今は破壊されたロボットを直して持ち主に送り返すことをなりわいにする「エンジニア」の女性。もう一人は、そのエンジニアのもとに何度も運び込まれている一体の少女型ロボットだ。エンジニアに届くロボットたちは、どれも酷く損壊している。持ち主が要らぬ暴力を振るった証だ。しかしエンジニアは罪悪感や憐れみをみせない。自分は、人間のためにロボットが尽くして成り立つ社会の一員であり、その歯車のひとつに過ぎないと諦めている。少女型ロボットは来るたびに記憶を消される。エンジニアにしてみれば、それがせめてもの罪滅ぼしというわけだ。「本当に逆らえないの?」と問う少女型ロボットに、エンジニアは吐き捨てる。「あんたには何の権利もない、何をされようと知ったことじゃない」、「逃げられないなら、忘れたほうがマシ」。酷い台詞であることに間違いはないのだが、その言葉はだんだんエンジニア自身の置かれた立場と重なって、彼女の心境は変化を遂げていく。『陳腐な男』とは真逆に、従属することイコール、特権の側に与して搾取することだと自覚したエンジニアは、見ぬ振りをしていた理不尽に向き合うことを選ぶ。

この後、交わされる二人のやり取りから結末に至る展開は、十把一絡げに扱われていた個が個としての顔を持って立ち現れる、美しく力強いシスターフッドの物語だ。暴力や虐待の経験は「健全」な社会にとって不都合で好ましくない――そんな誰かの望む「正常化」のために語る声を奪われる存在はあってはならないし、その「誰か」に自分がなっていないかを自問したくなる作品でもある。

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■『Time Machine』(予告編のみ)

あるいは、性暴力について描いた作品はこちらかもしれない。予告編のみ観られる『Time Machine』は、「おまえの兄にレイプされた」と打ち明けた友人を否定し、拒絶した結果、彼を失ってしまったことに後悔する男が、過去に戻って彼を救おうとする話の模様。レイプそのものを描いたシーンはみえないものの、冒頭で「性暴力の描写があります。ご鑑賞の際はご無理のないよう、十分ご注意ください」とアナウンスが流れたのをみて、この監督への信頼がさらに強まった。本編、ものすごく観たいです!

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■『CASARES なぎさのカサーレス

もう一本、初期に作られた『CASARES なぎさのカサーレス』も、汚染と破壊で人間が地上を捨て地下で暮らすようになった近未来の物語だ。主人公の女性はクローンを夫にもち、子どもは望めない。ここでその事を気にするのは夫のほうだ。その夫が毎晩のように寝言でつぶやく「カサーレス」という言葉が気になって、彼女は夫を作ったと思われる博士に会いに、地上へ向かう。そこで待ち受けていたのは、夫の元である人間にまつわる悲劇と、悲しい友情の行く末。今や全てを知った彼女の決意と、そこから生じる力強さと温かさに包まれるラストは、ほのかな希望を感じさせ、パステルの美しい色合いにいつまでも見入っていたくなる。シンプルな描写で表された未来ギミックが抜群に格好いい。

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■the Little Spider(ゆめちゃん)

在学中の作品と思われる人形アニメ。英語のナレーションボードが入り、字幕はない。16分表示だが、実際は6分強。『ヒルコ/妖怪ハンター』を彷彿とさせるクリーチャーが出てくる。話を聞かない男(少年)と、聞いてもらえない女(少女)。その怒りが少女の悪夢となって現れる。

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■『虹色の花畑 (The Rainbow Flower Garden)』

この作品のみ、日本語でナレーションボードが入る人形アニメで、袴田監督の卒業制作ではないかと思う。作家性が確立しているというか、袴田監督の世界に対する距離感や身体性の捉え方が色濃く出ているように感じた。おそらくこの後から制作されるアニメーション作品で天性の感性を爆発させたのではないかと思う。

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袴田監督作品の魅力について、私が感じるのは、まず、すべての台詞が英語で(日本語字幕がついている)、主人公のモノローグ形式で進むところ。情景を語りながら説明的になりすぎず、感情に溺れもせず、強烈な物語を淡々と描き出す。対象の主観を常に主軸に据える一方で、客観性を失わないバランス感覚に魅了される。台詞は選ばれ、研ぎ澄まされ、精鋭の言葉たちに綴られる物語は、その裏側に揺るぎない世界観と緻密な設定を感じさせる。10分ほどの長さに絶望も希望も余すところなく詰め込む語りの強さ。そして、何よりも絵。繊細で美しい線と色合いは言うまでもなく、とにかく構図が格好いい。『ブレードランナー』をはじめとするSF映画の影響を多分に感じさせつつ、ほどけて流れ、溶け合う線描が紡ぎ出す世界は、唯一無二だ。

私がボーッとしているあいだに、袴田監督はクラファンで作品を完成されていた。

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『アイアンプレッジ』、どこかで観られますように!というか、どこぞの映画館なりで袴田くるみ監督特集をやってくれないだろうか、と熱望するほど惚れ込んでいる。駄目だ…超好きすぎる。監督はSNSのアカウントを持っておられないようで、エアリプのように好きを叫ぶしか伝える手段がないのが歯がゆい。ここまでお読みくださった方の一人でも多くが監督の作品に興味を持ってくださったら、私の夢も叶うのではないかと期待をしている。YouTubeのチャンネル登録をして、作品を観よう!

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