カワウソの独り言

偏愛する映画と本について書いています。

週刊ALL REVIEWS Vol.139で紹介した本(既読)『瘡瘢旅行』

 1週間分の新着書評をまとめてメールで届けるALL REVIEWS友の会運営のメルマガ「週刊ALL REVIEWS」。編集長含む5人の担当者が週替わりで一冊を選び、その本と絡めた巻頭言を書いている。ことし最初の当番だった今号でどの本を紹介しようかと考えている最中に、西村賢太さんの訃報が飛び込んできた。熱心な読者とはいえない自分が西村さんを取り上げていいものだろうかと躊躇いもあったが、西村さんはある時から自分にとって特別な位置づけになった作家だった。だから書いてもいいだろうと判断して初めて読んだ『瘡瘢旅行』を選んだ。おりしも江國香織さんが書評をなさっているから、本書の魅力については是非、江國さんの評、また西村さんのご著書数冊にふれた楠木建さんの「読書日記」を読んでほしい。私は勝手な思いの丈をぶちまけたにすぎないので。

西村賢太さんのご逝去に寄せて

週刊ALL REVIEWS Vol.139 (2022/1/31から2022/2/6)

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 作家の西村賢太さんが亡くなった。まだ五十四歳、突然の訃報に接しネットで飛び交う驚きの声を今もなお、私は現実味を伴わないものとして眺めている。西村さんを知ったのは割合に最近のことだ。『苦役列車』で芥川賞を受賞したときの型破りな会見をみて興味をそそられ、読んでみようと思ったのだった。しかし賞を獲ったからといって、その作品にいきなり飛びつくのはいかがなものだろう――小さな見栄を張り、おぞましきタイトルに惹かれて手にした初西村賢太が、今週、江國香織さんが書評なさっている『瘡瘢旅行』だ。

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 読み始めた後から、彼が私小説の書き手であること、この本も「貫多もの」と呼ばれる作品群のひとつであることを知った。
 メルマガを購読してくださっている方にくどくどと説明するのは釈迦に説法で気後れするが、一連の作品は西村さん自身を投映した「貫多」と呼ばれる主人公の生活を赤裸々に描いている。貫多は、日雇いで得た金をあっという間に酒と風俗につぎ込んでしまう。同棲にこぎ着けた女を働かせ、金をせびり、気に入らないと酔いにまかせて殴る最低の男だが、小説を読むのを唯一の趣味とするといったところに、西村さんのプライドがみえるようだと思った。彼の吐く罵詈雑言、容赦のない暴力はたしかに胸が悪くなるのだが、西村さんの文章には気格があり、下品だと思ったことはなかった。
 ところで、私は邦画があまり好きではない。登場人物たちの殊更に声を張った話し方や、感情をあらわにする仕草が現実とはかけ離れ過ぎていて冷めてしまうからだ。もちろんそんな作品ばかりではないけれども。『瘡瘢旅行』で貫多が投げつける言葉や行動の多くも、私のすむ日常とは別次元での出来事のようで違和感はあった。私小説とはいえ「小説」であるという脚色を差っ引いても、悪趣味がすぎるのではないか。そんな読み手の心を弄ぶかのような、覗き見の好奇心をそそる描写に引き込まれて、ムカつきながらも読んでしまう。西村さんの小説を読むのは、自分のなかの露悪的なものとの闘いでもあった。だからといって、感情をいたずらに刺激されるばかりではないところに西村作品の良さがあると思う。私は西村さんの小説に、どれほど酷い描写であっても、いつも幾ばくかのロマンチシズムを感じていた。
 誤解を恐れずに、というか、ここから先は私の独りよがりの解釈ということでお許しいただきたいのだが、西村さんはポップシンガーの稲垣潤一さんの大ファンだったという。私も長年のファン。稲垣さんの甘くせつない歌声がはこぶ物語の多くは、強がりの男が自分をさらけ出せずに失った愛への未練を口にする。しかし決して振り返らない。ズタズタに傷つきながら前を向くしかない哀切がある。これはまるで貫多のようではないか、というのは言い過ぎだろうか。西村賢太稲垣潤一という一見意外な組み合わせも、男という生き物の駄目な部分を裏と表から描いているのだと思えば、得心もいく。
 書きたいことも、やり残したこともまだまだおありになられただろう。私たちにできるのは、遺された作品を読み継いでいくことだけだ。ALL REVIEWSのサイトには西村さんの作品についての書評が他にもたくさんある。その中から今日はもう一つ、楠木建さんの「読書日記」を紹介したい。

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フィクション至上主義の楠木さんを魅了した小説、となれば、それだけで食指を動かされるのではないだろうか。(朋)

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 上でも書いたように、あまりに突然のことすぎて、亡くなったといわれてもピンとこないでいる。だから、本来なら、ご冥福をお祈りします、とか、安らかにお眠りください、など哀悼の意を添えるべきなのだろうけれども、まだできそうにない。未読の西村作品をすべて読み終え、もうこの先、新しい作品を手にすることはないのだと実感したときにはじめて、寂しさと悔しさをおぼえるのかもしれない。それでも読み継ぐかぎり、西村賢太の名は残る。ひとりでも多くの方が一冊でも手にとってみてくれることを願ってやまない。

 

西村賢太さんと稲垣潤一さんの対談記事。
いつか読めなくなるかもしれないので、お早めに。

gendai.ismedia.jp

西村賢太さんが東大の本郷キャンパスで行った講義「人生に、文学を」の動画。
読むまえに、先に観てもいいかもしれない。面白いです。

www.youtube.com


後に映像化された『苦役列車』、現在は幾つかの配信サービスで視聴できます。
個人的には空気階段のもぐらさんが演じる貫多がみてみたい。

www.amazon.co.jp


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意外な本との出会いがあるかも。