カワウソの独り言

偏愛する映画と本について書いています。

週刊ALL REVIEWS Vol.133で紹介した本(既読)『パワー・オブ・ザ・ドッグ』

 物事を続けられない性分の私が、昨年一年間かろうじて続けられたほぼ唯一のこと。ALL REVIEWS友の会で発行しているメルマガの巻頭言を書くお当番。物静かで包容力があり、押しの力加減が絶妙な編集長hiroさんのおかげで、どうにかこうにか当番を欠かさずにやりおおせた。今年もお世話になります!

 このメルマガ、ALL REVIEWSという書評紹介サイトに掲載された新着書評を1週間分まとめて届ける週刊発行のもの。現在は5人の担当者が週替わりでメルマガ冒頭の巻頭言を執筆、一冊を取り上げて短く紹介している。既読のものもあれば、書評を読んで手にしてみようという未読本まで、5人それぞれ興味の方向が良い具合にばらけており、取り上げられる本もさまざま。私も一読者として楽しんでいる。

 ALL REVIEWS友の会に加入するまで書評を意識して読むことはなかったが、あらためて読んでみると書き手である書評家の手腕に感服させられる。ど真ん中のターゲットを絡め取る惹句、マージナルな読者候補生を惹きつける撒き餌。もちろんネタばれをすることはない。書評を読むだけでもかなりの満足感がある。今年は読書習慣を身につけたい!と思う方へ。とりあえず書評を読むところから始めませんか?

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 昨年の最後のお当番は年内最後の発行分でした。サイトに書評があるもの、が原則だけれども、どうしても紹介したく、イレギュラーに書評のない本を取り上げた。

今年の本は今年のうちに、積ん読を解消するたった一つの簡単なやり方。

** 週刊ALL REVIEWS Vol.133 (2021/12/20から2021/12/26)
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 仕事納めを迎え、「さて」と腰を落ち着けてさまざまな「今年のベスト一〇」に思いを巡らせる人もいるかもしれない、そんな二十八日。週に一度、一週間分の新着書評をまとめてお届けするALL REVIEWSメルマガも、本日が二〇二一年最後の号。この巻頭言では本来、前週の新着分から一冊選んで紹介するのがならわしだが、年末のどさくさに紛れてルールを逸脱してみることにする。今年読んだ本のなかでマイベスト一〇冊を挙げるなら上位に入ること間違いない一冊。角川書店から今年八月に初邦訳出版された『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(トーマス・サヴェージ著/波多野理彩子訳)だ。

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 著者のトーマス・サヴェージは、自身が幼い頃に過ごした牧場での経験や当時のアメリカ西部の生活文化を取り入れたウエスタン小説の書き手としてよく知られる作家である。本作もその系譜に位置づけられる作品で、一九二〇年代のモンタナ州に暮らす兄弟を中心に「男として生きること」への葛藤がスリリングな調子で物語られる。登場するアルコール依存症に陥るローズや、愚直で温厚な牧場主の片割れジョージ、ジョージの兄で家父長的にふるまうもう一人の牧場主フィルは、それぞれ自身の家族を幾ばくかモデルにして創られたと聞くと、フィクションとはいえ、当時のアメリカ西部が透けてみえてくるようだ。

 実は本作、『ピアノ・レッスン』でカンヌ・パルムドール及び米国アカデミー賞の数部門を受賞したジェーン・カンピオンによって映画化されている。

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主役の「泥と汗にまみれた教養ある野蛮人」フィルを演じるのは、英国の名優ベネディクト・カンバーバッチだ。今もまだ劇場公開されているが、Netflixで配信もされている。個人的な心情としては映画館を薦めたいところ、暮れも押し詰まったこの時期、家ごもりのお供として不足はない。まずは女性監督が描く西部劇というだけでも十分に関心をそそられるが、力を行使し犠牲をいとわない開拓精神の夢とロマンの痕跡を抱えた時代のアメリカを、植民地主義に苦しめられ開拓される側であった過去をもつニュージーランド生まれのカンピオンが手がけたとみればますます興味深くはないだろうか。

 昨今、「有害な男らしさ(Toxic Masculinity)」という言葉をよく目に、耳にする。言葉自体は八〇年代に端を発しているが、一般の人々の口にのぼるようになったのはここ数年、MeToo運動をきっかけにフェミニズム思想に関心が高まるのと時を同じくしているのではないかと思う。「有害な男らしさ」とは、「男はこうあるべき」という規範から外れる者を貶め、女性を蔑視し、性暴力を招く危険性をはらんだ一種の文化基準である。近頃はこの「有害な男らしさ」に苦しめられているのはなにも女性ばかりではなく、男性もその概念が構築する社会の犠牲者として認識されている。従来ならば「男らしくなく恥ずべき」と蔑視されてきた人前で泣く、つらさや苦しさを訴えるといった行為は、個人の心の健康を保ち、ひいては社会の健全化につながるとしてむしろ推奨され始めている。つい先ごろ日本のある男性アイドルのオーディション番組で、カメラの前でも堂々と、合格してうれし泣き、落ちて悔し泣きする十代の子たちの姿をみて、なにものにも縛られない自由な心の動きにすがすがしさを覚えたことを思い出した。

 タイトルの「パワー・オブ・ザ・ドッグ」は旧約聖書詩篇」二二篇二〇節からとられている。「わたしの魂をつるぎから、わたしのいのちを犬の力(the power of the dog)から助け出してください」、十字架にかけられて苦しむイエスが神に投げかけた嘆きである。ここでいう「犬」とはイエスの処刑を決断したピラトだと考えられている。フィルも泣くことができたなら、フィルに取り憑きフィルを抑えていた「犬の力」から逃れ、周囲の人たちと違った関係を築けただろうか。小説と映画を合わせてみると一層、フィルの抱えていた暗部がいつまでも胸のうちにこだましてやまない余韻を残す。映画は音楽も素晴らしい。長いようであっという間に終わってしまう正月休みだが、もし一日猶予があるのなら、読んで観る、あるいは観て読む、物語の世界にどっぷり浸かってみるのはどうだろう?(朋)
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 この『パワー・オブ・ザ・ドッグ』と引き合いにされる映画がある。カウボーイのもつマッチョなイメージに自分らしさを抑圧されて苦しみ、同性愛者であることを隠して生きるしかなかった二人の男の生涯を描いた映画『ブロークバック・マウンテン』だ。こちらの作品に出てくる二人は周囲の無言の圧、実力を伴った強制に「苦しめられている」と実感している。そこから抜け出そうとあがくが、社会はそれを許さず、結局は期待される生き方しか選べずに苦悩する。『パワー・オブ・ザ・ドッグ』の主人公フィルの内面はそこまで直接的に描かれていない。行動の端々から読み解くしかないのだが、私は「自分らしく生きることができていない現状を認められない」呪縛を感じた。これも「有害な男らしさ」がもたらす毒なのだと思う。

 すっかり定着した感のある「有害な男らしさ」という言葉。昨年は女性の側から語られることが多かった。男性側からの声がさらに聞かれるようになれば、共通敵に立ち向かう同志として社会を変えていけるのではないかと思っている。