カワウソの独り言

偏愛する映画と本について書いています。

週刊ALL REVIEWS Vol.103で紹介した本(既読)『ミルクマン』

 先日、発行100号を迎えたALL REVIEWS友の会メルマガ。鹿島茂先生からお祝いのコメントも頂戴した(この号だけは特別にウェブサイトで読める)。

allreviews.jp巻頭言担当者へのインタビュー企画も進んでいる(第1回は編集長hiroさん)。

note.com

遅れに遅れて自分の回答を提出し、罪の意識から解放されふぬけていたら、もうメルマガの担当回が回ってきた。年をとったからうんぬん抜きに去年今年と時間の感覚が狂いっぱなし。もう半年かという驚きがありつつ、去年の今ごろ何をしていたかまったく思い出せない。あとから振り返ったら奇妙な2年になりそう。

 そんななかでもひとつ良かったことは、本を読む時間が爆裂にふえたことだ。このメルマガでは、基本的に自分が読み、かつ、ALL REVIEWSの書評ページで紹介されている本を取り上げようと思っている。しかし担当回までに読み切れず、うんと過去の書評を掘り起こしてナントカしのぐ、といった悪あがきもけっこうした(それはそれでよかったとは思うけれど)。コロナ禍が明けてせわしない日常が戻ってきたら、この2年のことなんて忘れて、また以前の生活に戻ってしまう予感はしている。でもそれではあまりに学習能力がない。何かを手放すことになったとしても、読書の時間だけは確保し続けようと思っている。

 今週のメルマガ冒頭で紹介したのは、2018年ブッカー賞に輝いたアンナ・バーンズの『ミルクマン』だ。ホラー映画にあってもおかしくないタイトル、おどろおどろしい表紙から、すっかり「そっち系」だと思って開いたら、そこには別の怖さがあった。近年、女性を取り巻く環境のなかで問題として浮上している事柄であり、3年前に出版された本であるけれども、時宜としては今の本だと感じて紹介することにした。

 メルマガ告知のツイートはこんなふう。

monoai/status/k1399840680172822531?s=2書評は小川公代さん。

allreviews.jp

メルマガではこのように書いた。

時代に共振する物語の力に圧倒されろ!

 『キャンディマン』、『スレンダーマン』、『バイバイマン』等々、ホラー映画で「マン」のつく奴はたいていヤバい。ひとたび魅入られたら最後、命を奪われるか、この世ならざるところへ連れていかれてしまうか、もっと酷い目に遭わされる。「本当におもしろい小説が読みたいならノーベル文学賞よりもこれ」と、だれかに薦められて知ったイギリスの文学賞ブッカー賞。2018年度の受賞作『ミルクマン』(河出書房)の書影をみたときに、これはホラーに違いないと思った。タイトルは「マン」系だし、表紙には水木しげるの漫画の一コマに出てきそうな禍々しい黒モヤが広がっている。読み始めて、まず第一文目でガシッと掴まれた。

「サムバディ・マクサムバディが私の胸に銃口を押し当てながら私を猫呼ばわりし、殺してやると脅したのは、ミルクマンが死んだのと同じ日だった」(『ミルクマン』より)

 脅威のマンだと予想した「ミルクマン」はどうやら死んでしまうらしい。しかし主人公は「猫」呼ばわりされたうえに、べつの脅威に瀕している。初っぱなに出てくる名前は何だ? これは一体、どんな話なのだろうと読む者を引きずり込む効果抜群の幕開けだ。詳しい内容はALL REVIEWSの書評ページで小川公代さんがすばらしく紹介してくださっているので、そちらを参照されたい。

 私は、主人公の「私」にすっかり惹かれてしまった。エマ・ワトソン主演のディズニー実写映画『美女と野獣』を観たことのある人は、主人公のベルを思い浮かべてみてほしい。本が大好きで、町で唯一といっていいほど図書館に足しげく通い、空想の世界にあそび、突飛で素敵なアイデアを日常のなかで試すことを躊躇わないチャレンジャーである。しかし狭いコミュニティでベルは異質で浮いた存在どころか、どこかおかしい人間として扱われている。『ミルクマン』の「私」もまったく同じだ。体制と反体制の争いが繰り広げられる世界(端々から舞台のモデルは北アイルランドと察せられる)でしがらみを逃れて自由に生きたいだけなのに、社会の閉塞感がじわじわと彼女を追い詰めていく。そこへもって、この「ミルクマン」は変態である。なぜか彼女につきまとい、彼女のことを徹底的に調べあげる。そうして彼女をめぐる悪意あるうわさにまた尾ひれがついていく。

 現実の世界でも、女性が異性からのいわれなき粘着に遭うとか、火のないところに煙をたてられる場面に最近よく出くわす。それは、その手の事象が突然に増加したからではなく、声を上げることを恐れない女性たちがふえ、連帯の意を示して支援の手を差し伸べることにひるまない人たちがふえたからだろう。『ミルクマン』の「私」は孤立無援だが、機知に富んだ語りを武器に、したたかに、しぶとく性差別と偽善をあかるみに引きずり出してあざわらい、解放に向かって突き進む。その姿は十八歳の姿を超えてあらゆる世代の女性たちの代理ヒーローとしてたのもしく光り輝く。四十年以上前の異国を設定にしているとはいえ(その匿名性の高さから)今も世界のあちこちでふきだす性的搾取の問題や和解不能な分断と共鳴する本作は、今にこそ読むのがふさわしい一冊ではないかと思う。(朋)

 アンナ・バーンズについて

 著者のアンナ・バーンズについてふれておきたいと思う。巻頭言を書くまえにWikipediaなどでひととおり経歴を見て「寡作の作家さんなのだな」という印象をもった、というより、それだけしか感じなかった。メルマガチームのメンバーFabioさんから下記の記事を紹介されて寡作の「秘密」を知り、驚いた。
※この手の記事は一定期間を過ぎると読めなくなるので興味のある方はお早めに!

m.dailykos.com

 記事によると、脊椎関節炎を患い、手術を受けたものの予後がはかばかしくなく、鎮痛剤を服用しなければ執筆ができない状態にあるという。肉体的・精神的に衰弱しただけでなく、経済的にも困窮した(フードバンクや家賃補助団体の支援を受けたりしている)。そんななかで『ミルクマン』は4年半ぶりに筆を執った作品だった。最後の仕上げには数カ月を要したそうだ。スタンディングチェアの他さまざまな椅子を試し、痛みと闘いながらも創造性を失わずに送り出した一冊がブッカー賞を受賞(ちなみに賞金の64,000ドル(約700万円)は治療費に充てられるという)。その不屈の作家魂に、ほかの著作も読んでみたいと思った。残念ながら、他の長編小説2冊と中編小説1冊はまだ翻訳されていない。『ミルクマン』の人気があがって、他著作の翻訳も進めばよいと願っている。

 というわけで、ガイブン好き、70年代IRAものがお好きな皆さん、『ミルクマン』をぜひ読みましょう!

 

・・・あっ、大事なことを忘れていた。新着書評が毎週届くALL REVIEWS友の会の無料メルマガ、購読のご登録は下記をクリック!

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