カワウソの独り言

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進化する「ファイナル・ガール」、『ザ・スイッチ』

 タイムループ・コメディ・ホラー映画『ハッピー・デス・デイ』と続編の『ハッピー・デス・デイ2U』で一躍、名をあげたクリストファー・ランドン監督の新作『ザ・スイッチ』がいよいよ公開される。

 あらすじ

 引っ込み思案で自分に自信の持てない女子高生ミリー。片思い中の同級生に話しかけられるなんて千載一遇のチャンスがめぐってきても、ろくな受け答えができない。内気な彼女を疎ましく思う教師にイヤミを言われても口ごもるだけ。そんな自分に嫌気がさしてまた落ち込む冴えない毎日を送っている。家にも安らぎの場はない。父親が亡くなってからというもの、酒の量がふえて小さなトラブルを起こす母。母の心労を減らしたくてミリーは母に忠実な「いい子」でいる。同居の姉は警察官。家庭内のぎこちない空気には我関せずの態度だ。ミリーは、唯一の理解者である二人の親友、活発なナイラとゲイのジョシュに励まされながら、なんとか生きている。ある夜、アメフトの応援に参加したミリーは、試合後に無人のグラウンドで不審な男と出会う。最近、町を跋扈していた連続殺人鬼ブッチャーだった。逃げまどうミリーに、ブッチャーは容赦なくナイフを振り下ろす。その瞬間、雷鳴が轟き、雷光が二人を貫く。翌朝、目覚めたミリーは、ブッチャーの体の中にいることに気がつく。二人の魂が入れ替わってしまったのだ。24時間以内に元に戻らないと一生そのままだと知ったミリーは、親友たちとブッチャーを追う。ミリーは、殺戮をくり返すブッチャーを食いとめ、体を取り戻すことができるのか。闘いの一日が始まる。 

 

自宅からZoomでのインタビューに応じてくださったクリストファー・ランドン監督。約束の時刻の2時間前に「1時間早めてほしい」と連絡があり、慌てた。また小さい二人のお子さんのスケジュールに合わせる必要があると聞いてほっこり。

自宅からZoomでのインタビューに応じてくださったクリストファー・ランドン監督

お馴染みの題材で新しいジャンルを切り拓く

 魂が入れ替わる“ボディ・スワッピング”ものである本作。原題を『FREAKY』といい、1976年公開のディズニー映画『フリーキー・フライデー』に着想を得たという。2003年に同タイトルでリメイクされた(邦題は『フォーチューン・クッキー』)、その内容はといえば、父の死も母の再婚も受け入れられないでいる十代の女の子が、母親と中身だけ入れ替わってしまう。元に戻るべく奮闘するなかで、お互いに相手の本音を知り、理解を深めていくミュージカルコメディだ。

 この「魂の入れ替わり」は、日本ではお馴染みの主題である。古くは山中恒著の児童文学「おれがあいつであいつがおれで」とその映画化作品『転校生』(1982)、近年では大ヒットアニメ映画『君の名は。』(2016)が代表的な作品だろう。細かなものを挙げればきりがないほどある。ところが、アメリカではこの「魂が入れ替わる」という概念があまり理解されないらしい。実際のところ作品はいくつかある。例えば『ホット・チック』(2002)は、呪われたイヤリングで中年男と女子高生が入れ替わるコメディ。『ザ・スイッチ』はこの作品にも着想を得ているだろう。ほかにも、『フリーキー・フライデー』の父息子版『ハモンド家の秘密(1987)』、新婦と見知らぬ爺さんが入れ替わるロマコメ『キスへのプレリュード』(1992)、誰もがうらやむ人生を送る既婚男が夢追い真っ最中で未婚の親友と入れ替わる『チェンジ・アップ/オレはどっちで、アイツもどっち!?』(2011)など。やはり魂と肉体は切り離せないものらしく、FBI捜査官とテロリストが入れ替わる『フェイス・オフ』(1997)は「整形手術で無理やり替える」タイプだし、『大逆転』(1983)はエリートとホームレスの「立場」を入れ替えるお話。逆に、日本ではマイナーだがアメリカではお馴染みの設定なのが人生をやり直すパターンで、『天国から来たチャンピオン』(1978)、『スライディング・ドア』(1998)、『天使のくれた時間』(2000)、亜種として『メリンダとメリンダ』(2004)。名作も数々ある。

 いずれにしてもコメディが多く、ホラー映画に「魂入れ替わり」の要素を持ち込んだ作品は見つけられなかった。日本でも数少ないスラッシャー映画の作り手、朝倉加葉子監督によると、実は入れ替わりホラーのパイオニアではないかと思う『クソすばらしいこの世界』(2013)はロサンジェルスで撮影を行い、一部の俳優は現地で公募したそうだ。出演交渉の際に「魂が入れ替わる」設定を説明したが、なかなか理解してもらえず、断わられることもたびたびあったという。

 海外ホラー作品でよく見られるのは、断然、何かに体を乗っ取られる「ボディ・スナッチャー」である。それなら枚挙にいとまがないほどある。『エクソシスト』(1973)に代表される悪魔憑きもの無数、『SF/ボディ・スナッチャー』(1978)、『ポゼッション』(1981)、『遊星からの物体X』(1982)等のエイリアンによる乗っ取り系、死刑になった殺人鬼の魂が乗りうつる『ショッカー』(1989)、『デビルジャンク』(1989)、『ペンタグラム/悪魔の烙印』(1990)など、細分化も進んでいる。体を乗っ取られる側には、落ち度や血縁によるしがらみはあっても、罪はない。悪霊など実体を持たない邪悪な存在が、隙につけ込み、悪事を働くための肉体を手に入れようとして引き起こすのだ。

 『ザ・スイッチ』が画期的なのは、理解されにくい「魂の入れ替わり」に、シンプルで誰もが納得できる理屈をつくりあげ、従来の「ボディ・スナッチャー」ものの世界に「ボディ・スワッピング」の概念を持ち込み、ホラー映画に新しいジャンルを打ち立てたことだ。『ハッピー・デス・デイ』のファンジン制作(映画パンフは宇宙だ!発行)にあたってランドン監督にインタビューをしたのだが、そのとき印象に残った言葉のひとつが「人生はひとつのジャンルにおさまらない。だから、映画も同じようにつくりたい。いろいろなジャンルを混ぜてつくるのが好きなんだ」だった。『ザ・スイッチ』は、この分野横断的な発想があって生まれた作品だ。

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 人生を変えたラリー・クラークジェイソン・ブラムとの出会い

 このような柔軟な考え方ができるのは、ランドン監督が長きにわたって脚本家生活を送っていたことと関係があるだろう。大学在学中に制作会社でインターンとして働き、山のように送られてくる脚本に目を通すかたわら、友人と短編映画を作ってはあちこちの映画祭に送っていたランドン監督。そのうちの一本がラリー・クラークの目に留まる。クラークは、ユースカルチャーを追い、ドラッグや銃でセンセーショナルな話題を提供して伝説と化していた写真家。「アメリカ人が誰も作ったことのないティーンエイジ映画を」と映画製作に参入し始めたころで、信奉者のひとりガス・ヴァンサントらの協力を得て初長編作『KIDS/キッズ』(1995)を発表していた。二作目となる『アナザー・デイ・イン・パラダイス』(1998)の脚本家にランドンを起用したのだった。旅の途中で犯罪を重ねながらも成長をする少年の姿を描いたスリラー風のロードムービーで、メラニー・グリフィスジェームズ・ウッズらが脇を固めたが、興行的には失敗。ともあれ、これがランドンのハリウッドデビューかつ、プロの脚本家としての第一歩となった。

 ランドンはその後も数本の映画、TVシリーズで脚本を書き続け、ブラムハウス・プロダクションズ創始者ジェイソン・ブラムと出会って意気投合する。低予算ホラーを得意とするブラムは、モキュメンタリー手法で撮られた『パラノーマル・アクティビティ』(2007)で世界的な大成功をおさめるのだが、製作費の400%近くに及ぶ興収は想定外のうれしい誤算だったようだ。続編の製作を決めたものの、脚本が重要だと、てこ入れ役としてランドンを脚本家に抜擢する。ランドンは同シリーズの2、3、4と番外篇の4本の脚本を書き、番外篇の『パラノーマル・アクティビティ呪いの印』(2014)ではメガホンもとっている。

 幼いころから、両親に「観すぎ」と心配されるほどホラー映画を浴び続けてきたランドン監督には、スプラッター、スラッシャー表現への強いこだわりがあった。その腕を思う存分にふるったのが、パラマウント配給の『ゾンビーワールドへようこそ』(2015)だ。全編コメディタッチでどぎつめの血肉描写もファニーさが先立つ。思いきった下ネタも端々にあらわれるが「クレしん」的。それでも米国ではR指定を受け(日本の映倫R-18にあたる)、製作費こそ回収したものの、成功とは言いがたい状況だった。そこで、スプラッター表現を極力抑えて作ったのが、ブラムハウス・プロダクションズと再びタッグを組んだ『ハッピー・デス・デイ』シリーズだった。

 『ハッピー・デス・デイ』はもともと、1990年代にマーベルで『X-Men』シリーズ、2010年代にはDCでスーパーマンなどのコミックを発表していたスコット・ロブデルによって書かれた作品だった。脚本に途中参加したランドン監督は、オリジナルになかったロマンティック要素を加えた。インタビューで脚本の変更過程を尋ねると、「主人公の心の成長が本作のテーマのひとつ。周囲とのかかわり方が変わっていくのはわかりやすい描き方だし、そこにロマンティックな関係を入れたらもっと面白くなるんじゃないかと思ったから」とのこと。ロマンティックといっても、甘々ではない。ランドン監督はもともと強い女性がお好き。過去の作品『ディスタービア』(2007)にも『ゾンビーワールドへようこそ』にも強い女の子があらわれる。何度殺されてもメゲないツリーの前向きで闘争心に満ちた性格にも、その嗜好が反映されている。

脚本に込められた想い

 ランドン監督の脚本には、もうひとつ大きな特徴がある。それは「自分の体験を織り込むようにしている」ことだ。ランドン監督の父親は、日本でも大人気だったTVドラマ『大草原の小さな家』(1974~83)の父親役のマイケル・ランドンである。しかし両親はランドン監督が幼いころに離婚し、ランドン監督は母親に引き取られる。父マイケルとはのちに再会を果たすが、マイケルはランドン監督が16歳のときに亡くなってしまう。早くに逝ってしまった父への思慕は『ディスタービア』でシャイア・ラブーフが演じた主人公によって吐露される。そして、母リン・ノウも2015年にこの世を去り、悲しみが癒えないなかで加筆されたのが『ハッピー・デス・デイ』の脚本だ。ツリーの悲しみと心の傷は、ランドン監督が抱えるものそのものである。続く『2U』でランドン監督は、心の片隅に影を落とし続ける喪失感をツリーに託したのだ。「その意味で『ハッピー・デス・デイ』は非常に個人的な映画だ」とランドン監督は語る。

 ランドン監督は現在、パートナーとの間に二人の子どもを持ち、その仲睦まじい様子をたびたびInstagramに投稿している。『アナザー・デイ・イン・パラダイス』の脚本を書き上げた直後に、自身がゲイであることをカミングアウトしたのだが、そのことはキャリア形成に影響を及ぼしたという。周囲から正しく理解されず、疎外感を覚えることもあったそうだ。『ハッピー・デス・デイ』には、ゲイであることを隠すために主人公ツリーに付きまとう男子学生ティムが出てくる。ツリーに背中を押され、『2U』では男の恋人ができ幸せな大学生活を送るティムの姿には、ゲイのファンたちから共感と感謝が寄せられたという。

キャリアの総括『ザ・スイッチ』!

 『ザ・スイッチ』は、そんなランドン監督のこれまでのキャリアの総括と言ってよい作品だ。まず、『ハッピー・デス・デイ』シリーズでいったん封印したスプラッター描写を完全に復活させた。冒頭でよみがえった「ブッチャー」が典型的な男性殺人鬼として有無を言わさぬ力押しのスラッシャーでいくスタイルから一転、ミリーの若々しい肉体を乗っ取ったあとは、非力を小回りでカバーして容赦なく血しぶきを飛ばす。肉体が刺され貫かれ切り裂かれ…と直接的な表現がわんさか出てくるが、どこかおかしみがあり、血まみれは苦手という人でも比較的、心安らかに観ることができるだろう。

 キャラクター設計にも隙がない。父親不在の家庭。主人公ミリーは心身ともに「ひ弱」なのだが、ブッチャーの「強い」肉体と暴力を体感することで「本当の強さ」に気がつき、ブッチャーをいわば踏み台にして臆病な自分に打ち勝っていく。いじめられた経験のある者なら、ブッチャーの姿でいじめっ子に逆襲するミリーに小気味の良さを感じるかもしれない。ミリーの親友でゲイのジョシュは、『ハッピー・デス・デイ』のティムからさらに踏み込んだキャラクター。ゲイであることに自信を持ち、そんな息子をアイデンティティごと受けとめる母親とのやり取りは笑いを誘われる。こういう表現をさりげなく盛り込めるのは、ランドン監督ならではだと拍手喝采したくなる名場面だ。ミリーが密かに思いを寄せていたブッカーがみせる「好青年すぎる」エピソードは、ルッキズムを軽やかに足蹴にする素敵な場面。どの登場人物たちも、政治的な正しさや多様性という言葉が陳腐に感じられる堂々たる「自分らしさ」の体現であり、誰にどう思われようが何を言われようが自分は自分、そこにはいいも悪いもない、と勇気をくれる温かさに満ちている。そして、父や母への恋慕があふれた『ハッピー・デス・デイ』シリーズでは描かれなかったこと――『ザ・スイッチ』では母親の心情が描かれる。子どものことを第一に考えなければならないのに、寂しくてやりきれない――孤独な母の苦しい胸の内を、ミリーは意外な方法で知ることになる。

 ホラー映画ファンへの目配せもたっぷり盛り込まれている。オープニングクレジット、そしてブッチャーがかぶるマスクはもちろん『13日の金曜日』(2009)シリーズ。『ハロウィン』シリーズからの引用も随所に見られる。ちなみに、ランドン監督はジョン・カーペンターの大ファンだ。特にブラムハウスが製作を手がけた『ハロウィン』(2018)は観ておいて損はない。ミリーの学校生活やミリーをからかう女子学生たちの関係は、デ・パルマ監督の『キャリー』(1976)、ロドリゲス監督の『パラサイト』(1988)、ウィノナ・ライダークリスチャン・スレーターの狂気がほとばしる異色学園もの『ヘザース/ベロニカの熱い日』(1989)(本作のポスタービジュアルになっている「包丁に映る顔」のネタ元ではないかと思われる)、ネーヴ・キャンベルのデビュー作『ザ・クラフト』(1996)を思い出させるし、ミリーとブッチャーが入れ替わる場面はTVシリーズの『スーパーナチュラル』(2005-20)のエピソードを思わせる。

 最後に、音楽にも一言ふれておきたい。ジャンルにこだわらずいろいろな音楽を楽しむというランドン監督。劇中では、自分が好きな曲ではなく、たとえ好みでなくとも場面や雰囲気に合った曲を使うとのことだ。『ハッピー・デス・デイ』で印象的なDemi Lovatoの“Confident”は、ランドン監督のタイプではないらしいのだが、ツリーの「よし、これから闘うぞ!」という勢いと気概をあらわすのにぴったりだということで選ばれている。

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 『2U』では劇中とMVのシーンがシンクロする形でParamoreの“Hard Times”が使われた。

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 『ザ・スイッチ』。「なるようにしかならない、でも、未来はどんなふうにだって変えていけるの」とDoris Dayが歌う“Que, Sera, Sera”に乗って登場する「ミリー」が「誰も信じるな」と$uicideboy$"Don't Trust Anyone!"で「ブッチャー」に変貌を遂げて降臨する場面の高揚。後半のクライマックス、殺戮パーティ会場では「多分、私はおかしいんだ。危険だってわかってるでしょ。あなたは私にとって死であるかもしれないのにね」とPVRISの”Death of Me”で獲物の海に殺人鬼を放つ。そして、すべてが終わって迎えるエンドロールHaiku Hands-“Suck My Cherry”の爽快!考え抜かれたランドン監督の選曲センスもぜひぜひ耳で楽しみたいポイント。

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 ホラー、スラッシャー映画では派手に殺されることだけを求められる犠牲者だった「女性」が反撃と復讐のヒーロー「ファイナル・ガール」に転じるようになった昨今のホラー映画、『ザ・スイッチ』ではさらにその進化形が見られる。同じ日をくり返すなかで自分を見つめたのがツリーなら、ミリーは別の肉体というフィルターを通じて周囲との関係を客観視するひねりの利いた成長物語を見せてくれる。実は同じユニバースに存在している『ハッピー・デス・デイ』と本作は将来的にコラボレーションする可能性がある。『フリーキー・デス・デイ』といったタイトルがランドン監督の口から飛び出しているようだ。同シリーズでランドン監督を知った「非ホラー映画ファン」にも、『ザ・スイッチ』はぜひにとお薦めしたい。(おしまい)